三島由紀夫
「肉体の学校」
自立と孤独との配分
「三島由紀夫」という人はどこまで読者を驚かせてくれるのか・・・毎回初対面の作品とお手合わせ願う際、期待と畏怖の念で一杯になるわ。胃がもたれるような重い内容の作品が大好物だけど、今回の作品『肉体の学校』はライトなようでじっとり重い絶妙な配合だったの。
タイトルから得る印象はちょっとエロティックではあるけど、内容は全く異なり、現代の女性もうんうんと大きく頷かされるであろう位共感できるものよ!物語は離婚して企業した女性たち3人が主役。映画批評家、レストランオーナー、デザイナーという各分野で大成功を収めた彼女達は、月一回の定例会"年増園"を開催し近況を報告し合うという仲良しなの。
話題の中心は男性で、いつも自信満々の彼女達は恋を仕事の潤滑油にしていたわ。しかしデザイナーでもと貴族の妙子は、ゲイバーに勤める美形の青年に惚れ込んでしまうの。青年の思惑、妙子の恋愛観の変化、恋の駆け引き・・そして女友達の友情、あれっ?どこかで聞いた話だと思った方はいらっしゃるんじゃない?
そう!まさに日本版「SEX and the CITY」なのよ!!しかしこの作品が発表されたのは1964年・・女性が企業するというのは今でこそ日本で認められつつあるけど、45年も前に自立する女性像をこれほどまでに自然な形で描く事の出来る三島氏は、やはり先見の目があったからなのね。納得!
恋愛、結婚、子育てと女性のステージは様変わりするものの、そこに"仕事"という項目が加わった段階で、背後に"孤独"が見え隠れする気がするのはピポ子だけだろうか・・・。いやいや、何はさておきまず経済的自立!そして女友達とのランチかな。
日野日出志
「地獄変」
鬼才の挑戦
「地獄変」・・これほどまでに強烈な作品が発表されていたとは、ただただ驚くばかりよ。尊敬してやまない『日野日出志』先生が26年前に発表された代表作のひとつなのだけど、あとがきには「このこわい物語は事実ではなく、著者の創作である」という編集部からの一文が・・ホラー漫画なんだから当然なんだけどあえてそう書かないと読者が怯えてしまうという判断したのね。
その内容は実に哲学的で、表現はグロテスクで美しい!ある絵師が血の匂いとその美しさに魅せられ、地獄絵を描き続けているというところから物語は始まり、やがてその作品達がどうやって描かれたかを語っていくというストーリーなの。
家の前にある刑場で落ちてゆく首を見ながら絵を描く主人公、暴力を振るう彼の父、狂った母、肉の塊と化した弟、夜な夜な死者を相手に居酒屋を切り盛りする妻、目玉や死体を集める可愛い子供たち・・様々な人間が登場しそれはそれはおぞましい光景が展開するのだけど、その背景には作者の戦争や暴力に対する思いや人間の暖かさを欲する思い、死に向かって加速する自分の中の思いなどがふんだんに折り込まれていて、その深さに思い知らされたわ。
血を吐きながら絵師はラストで「皆死ぬ!」と狂ったように叫び、私たち読者に斧を投げつけるの。紙に印刷された絵のはずなのに、なぜか今でも斧は自分の方に向かって飛んでくるのでは・・と今でも恐怖を覚えるのは、自分が死に向き合えるようになったからなのかもしれない。
これほどまでに内面的な怖さをここまで表現されるなんて、最早為す術無しよ!内容についてもっと書きたいけど、やめておくわね。是非機会があれば皆さんに読んでいただきたいから。
しかし、この当時この作品を生み出した日野先生も鬼才の域を超えてるけど、老舗出版社"ひばり書房"もかなりのチャレンジャーだと思う。この絵師はきっと先生自身・・彼の叫びは当時の先生の心の叫びであったであろう事は間違いない!アーティストは己を削り作品を生み続け、狂気と苦しみの中で表現し浄化を望む・・まったくこの絵師と同じだ。
手塚治虫/つげ義春/石ノ森章太郎 他
「マンガ黄金時代 60年代傑作集」
人間臭さと個性の衝突
漫画が"生もの"として特に息づいていたのは60年代、70年代ではないかと思う。
その時代の作品を集めようとするとなかなか難しいけど、素敵なオムニバス本をオークションで見つけたの!その名も「マンガ黄金時代 60年代傑作集」よ!!
手塚治虫、つげ義春、石ノ森章太郎は勿論、マニアックな作家の作品がズラリ・・内容も時代を反映したものから、シュールなものまで読みごたえ抜群。ピポ子が特に気になったのは楠勝平氏の「おせん」という作品なの。
家族の為に朝晩働き、貧乏長屋で暮らす"おせん"は気っぷが良くて明るい町娘。大工の"安"はそんな彼女の優しさに魅かれ、自分の気持ちを伝える為家に呼ぶのよ。実は安の実家は大金持ち・・しかし、自体が飲み込めずはしゃぐおせんはふとした事から部屋にあった高価な花瓶を割ってしまい、弁償できない恐怖から「私じゃない!」と叫んで逃げてしまう。
安はそんな彼女の態度に激怒・・でも彼の父親は『おせんの行動は、彼女の本質でなく貧しさからきたものなのだから理解しろ』と諭すの。幼い頃から苦労知らずに育ってきた安に、おせんの行動は理解できなかった・・雨の中でおせんは安の後ろ姿を見ながら涙する、というストーリーよ。
話自体はシンプルかもしれないけど、人の心の描写が実に素晴らしいわ!お金を巡り、育った環境や考え方の相違がこれほどリアルに描かれているなんて、良い時代だったのかも・・。
どの作品も「誰誰風」などと画風が被るものはひとつも存在せず、内容もキャラクターの個性も主張しあって暑苦しいくらいよ!これだけの密度の高い作品が生まれ続けた60年代・・・諸先輩方の挑戦にどう立ち向かう!?2000年代のアーティスト達よ!
日野日出志
「ジパングナイト」
日野氏からの警告
1997年発刊の日野日出志先生作品集「ジパングナイト」をオークションで入手!前回手に入れた「地獄小僧」に続いて2冊目よ。
短編9話というボリュームながら内容は更に濃厚!ティーン向けの雑誌に初出された作品ばかりなので、比較的分かりやすいストーリーではあるもののその切り口はさすが!だったわ。
どのお話も都会に生きる人間達の悲しさや苦しみが良く表現されていたの。ネズミを愛するが故にいじめられ自らネズミになった少女、家族の期待を背負い猛勉強をしたあまり頭が支えられないくらい肥大した少年、マンションの一室でひっそり子供を産みひっそり死んでいった母子、親より早死にしてしまった子供達が地獄に行くまでの準備をするクラス”死組”など着眼点が実にお見事よ。
特にお気に入りは『うしろの正面』。
ある朝、首だけが後ろ向きになってしまった少女が色々な病院で治療を受けたけど効果がなく、ある病院で睡眠療法を試みた所少女が心に大きな問題を抱えていたことが判明したわ。神童と呼ばれるくらい優秀だった少女は家族に期待されたのだけど、4年生になると同時に成績がガタ落ちに。家族や周囲の態度は一変し、そこから少女の苦悩と復讐が始まったわ。
結局少女の首は完治したけどその為には・・・贄が必要だったのよ!この話は学校だけでなく会社や家庭でもある内容だわ。自分の能力が発揮できてるうちは誰もが賞賛し認めてくれる。しかしそこから転落し仕事や地位やお金を無くした時に助けてくれる人は殆どいない。
地に落ちて初めて人間の妬み嫉み、自責の念の洗礼を受け、最終的に死を見つめるようになる。でもそこから這い上がって来た者こそ今生に生きる権利があるのだ・・・と日野先生は私達読者に訴えかけている気がしてならないのよ。
その他にもエコロジーを訴えながら結局都会でしか生きられない事を悟った都会育ちの家族など、現代に警鐘を鳴らす作品が目白押し!今自分が生きているという”事実”をリアルに受け止めさせられてしまったわ。煉獄に生きるためのバイブル・・・それが日野作品だ!