Movie2008_03

img51938d1fzik4zj.jpeg「π」

迫り来るモノクロのスピード

モノクロ映画って気合いが入ってるわよね!だって単色で表現するって本当に難しいもの・・・だからこそ物語の本質がしっかりしていないと飽きられてしまうわ。

映画「π」を見た時、モノクロでありながらその襲いかかるくらい勢いのある映像にやられっぱなしだったの。高度な鉛筆デッサンを見せつけられた気分ね。制作費は数百万程度で友人から1口数万を募って完成させたとのこと・・・。

自宅のスーパーコンピューターを使って株式市場予想の研究をしていた天才数学者が、突然暴走したコンピューターが吐き出した数字の塊を発見。それは世界を解明する万能の数式で、その数字をめぐってマフィアとユダヤの秘密結社から狙われる事になったわ。数式への誘惑とどこまでも続く鬼ごっこ・・・疲労困憊した彼の選んだ道は!?

というストーリーなのだけど、とにかくどんどん主人公にシンクロして辛くなってきちゃった。一番素晴らしいと思ったのは数学者が頭痛に悩むシーンよ!いまだかつて頭痛というものをこんなにうまく"音"で表現した人はいるかしら?

鋭利な金属音というかノイズ系というか言葉では言い表せないけど感覚にズン!と来たわ!!ピポ子はひどい頭痛持ちなので納得させられちゃいましたよ〜。ダーレン・アロノフスキー監督も相当な頭痛持ちとみた・・・。

一番感動したのは、映像をモノクロにした事で余計なものが削ぎ取られ、画面には必要な部分がより強調されて浮き出てきたという点よ。そのひとつは血の色!本来の赤よりもどろっとした質感が出ていて不気味なの。そして街中の解放感、部屋の中の圧迫感もさながらその場にいるかのような臨場感があるし、人物の表情が細かく出るわ!実力のない役者さんだったら一発でアウトかもしれない・・・。

何でもそうだけどお金をかければ良いものが出来る訳じゃないのね。作品自体がしっかり出来ていれば、素描だろうがアカペラだろうが十分に表現できるもの。またもやこの映画によって教えられてしまった・・・はぁぁ。

img46af598ezik0zj.jpeg「Being There(チャンス)」

自然体での魂のもたらすもの

1979年の名作映画「Being There(チャンス)」。作品を見終わった後に何とも言えない爽快感に包まれ熟睡しちゃった。

いやあ、しかしこの時代の質感は良い!画面から70年代の匂いがぷんぷんしてくるわ。タイトルの「なすがままに・・・」という通り、主人公の中年の庭師チャンスはいつも自然体で生きてるの。庭いじりとテレビが大好きで、とにかく無垢な心の持ち主!数十年屋敷の外へ一歩も出た事が無い彼だけど、屋敷の主人が亡くなり管財人に屋敷を出るように通告されてしまうの。

町をさまようチャンス・・・見るもの聞くものが新鮮ではしゃいでいた彼は1台の高級車にぶつかり、その車中にいた貴婦人に手当ての為家に呼ばれるのだけど、なんと彼女は経済界の大物の妻だったのよ。チャンスは高齢で余命いくばくもない夫人の夫に気に入られ、大統領とも話をする事に・・・

読み書きも言葉を話すのもままならないチャンスだけど、彼の庭の手入れの哲学を耳にした周囲の人々は勝手にその話を高尚な例え話ととり、大統領か彼の言葉を演説で引用してからたちまち人気者に。やがてチャンスは全米中に名が知られるようになり、大統領の葬送の際、有力な新大統領候補である事が明らかに・・・。

彼はなすがままの自然体であり、欲も持たない。自分の無垢な心が周囲の人達を幸せに変えた事にすら気付いていない。ストーリーはそんな感じだけどチャンスを演じているピーター・セラーズの演技はたまらない!後に彼と結ばれる貴婦人役のシャーリー・マクレーンも絶品よ。

音楽もこのストーリーならクラシカルになりそうだけど、ブラックで超クール!特にお屋敷を追い出されてから流浪するシーンで流れるデオダートの「ツァラトゥストラはかく語りき」とのアンサンブルが最高。チャンスの子供のような純真な心が、歪められていびつになってしまった人々の心を柔らかくしていく様は、見ている自分のトゲトゲとした部分まで消えていく気がするわ。

ラストで彼が弱った木に触れる為に湖に入るシーンは、この作品のテーマを見事に表しているの。生きていくためには様々な感情を抱え込まなくてはいけないし、時には策略も必要。でも最も大事なのは自然体でいる事なんだわ・・・難しい事だけどね。

imgbca7c501zikczj.jpeg「ザ・セル」

幻想世界へようこそ!脳内スケッチ

ちょっと前にジェニファー・ロペスのPVを見たの。曲の印象は残らなかったけど、とにかく彼女の強さが伝わってくる映像だったわ。セクシーだけどどこか雄々しい・・・そんなジェニファー主演映画「ザ・セル」、やはり劇中の彼女も同じ印象ね。

物語は、ジェニファー演じる若き心理学者は患者の精神世界に入り込むという最新治療を行っているの。ある時異常連続殺人犯の脳に入り込み、彼が拉致した女性の居場所を聞きだすという任務を請け負うのだけど、そこは想像を絶する異常な世界だったの。

ストーリー的には昔の土曜ワイド劇場の様な王道ではあるものの、犯人の頭の中の映像は必見!

絵画のような質感の世界で繰り広げられる見せ物小屋のような世界・・・輪切りにされた馬がドミノのコマの様に立ち、その中では臓器がドクドクと音を立てていたり、繋がれた女性達が蝋人形の様に展示され、からくり人形の様に同じ動作を繰り返していたりと生臭ささえ感じるようなものばかりが登場するのに何故か全てスタイリッシュ!カットがポストカードみたいだわ。

犯人が邪悪の権化として玉座に君臨するシーンでは、まるで横尾忠則の様な色使いでびっくりしちゃった。特に犯人に同化された心理学者が登場するシーンは息を飲む美しさで、黒と赤の羽のようなヘアに黒のアイラインと燕脂のリップ、鼻と口を覆い隠す金属のアクセサリーを身に付けている姿は故・山口小夜子さんの出演されていた資生堂のインウイのCMを彷彿とさせるわ!

所々に和のテイストを感じるな・・・と思ってたらそれもそのはず!なんと資生堂のCMや映画"ドラキュラ"でも衣装を担当されていた石岡瑛子さんが衣装デザインをされてたのよ!凄い!!この精神世界をこれだけの映像として見せられるというのは、ターセム・シン監督が元々広告業界でインパクトのある作品で有名な方なのだからかしらね。

アート感覚で楽しめる映画というのもなかなか良いわね。そういえば日本のビジュアルバンドが、一時期この世界観に影響されてるPVを次々発表していたけど、上辺を真似てるだけなので歌と映像が見事分離して違和感があったわ。そんなことしてないで、日本もこの監督に負けない映像を作らないといけないわね!そしてセル!セル!・・・ふふふ。

img5f57ad7bzik1zj.jpeg「ドグマ」

塗り変えられる聖書

ありとあらゆる意味で問題作といえる1999年の映画「ドグマ」。

天使(ベン・アフレック/マット・デイモン)は殺戮を繰り返し、神は女性、使徒の1人は黒人だったが為に聖書に記載されなかった・・・等とかなりの過激ぶり。公開当時、上映禁止運動が起こるほどの批判を受けたというのも頷けるわね。

神に背き地上に落とされた天使2人が、ようやく天国に帰る方法を知るの・・・それは門をくぐる事により罪が許されるという教会の聖堂に入る事。でももし彼らが実行すれば、神が定めた教義に矛盾が生じ人類が滅亡してしまうの。天使らを阻止しようと選ばれたのは、キリストの末裔の女性堕胎医!何とも皮肉よね。そして欲の塊の人間の預言者、ストリッパーの女神、黒人の使徒とバラエティーに富んだ神の申し子チームは、果たして堕天使達を阻止できるのか・・・?という恐ろしいストーリーなのよ。

キリスト教の教義を覆す設定の数々にはらはらさせられっぱなしだけど、全編コミカルに描かれているから楽しく見ていられたわ。でもこの内容ではコミカルに描く以外方法が無いか・・・。ただ、冷静沈着な堕天使の1人が「自分達は神に尽す為だけに命を与えられたが、人間は自由でいる事が許されている。これほど神に愛されているのに、何故人間すべてが神を敬わないのか。」と怒りを露にした場面でハッとしたわ。

人間は生きている事を当たり前に考え、自分が"生かされている"という事に感謝する気持ちを忘れてしまっている。日々の慌ただしさに流され、生きている事の喜びを見失ってはいないか?そう問われてるようだったわ・・・反省。

別の意味でハッとしたのは、歌手アラニス・モリセットが神様として登場するシーンよ。キリストが女性というだけでも「ワーオ!」なのに、このキャスティングは更に「ワーオ!」よ。

神を演じる彼女の不思議な魅力を良しとするべきか否か判断に困っちゃう。とにかくあらゆる部分で宗教的概念に波紋を投げ掛けた"意欲作"だわね。さ、今日もおいしい夜食に感謝をしつつ、ピポ子も意欲作を生み出さなくては・・・。

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2008 3
π
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